舞踏服を着たポール・ゴビヤール by Berthe Morisot - 1887年 舞踏服を着たポール・ゴビヤール by Berthe Morisot - 1887年

舞踏服を着たポール・ゴビヤール

油彩/カンヴァス •
  • Berthe Morisot - January 14, 1841 - March 2, 1895 Berthe Morisot 1887年

女性史月間2日目は、印象派の画家ベルト・モリゾの野心的な作品を紹介します。その作品を見れば、彼女が、物事はこう描くべきだという客観的な視点にとらわれず、見たままを主観的に表現するという印象派の思想に極めて忠実だったことがわかります。中には抽象的な作品も見受けられる所以です。今日は、モリゾの126年目の命日にあたります。

この絵の描き方をご覧ください。大まかに見えて、明確な意図をもった無数の自在な筆致で溢れるカンヴァスは、生き生きとした奔放さを感じさせます。これから始まる舞踏会への期待に胸をふくらませる若い女性の雰囲気もよく捉えていますね。 これが舞踏会デビューでしょうか?お目当ての紳士が待っているのかもしれません。 

ポール・ゴビヤール (1867~1946年)は、テオドール・ゴビヤールとベルトの姉イブ・モリゾの3人の子供の長女で、画家の姪にあたります。 1893年にイブが亡くなると、3人の子供たちはベルトの家に移り住み、そこにはいとこのジュリー・マネがいました。ジュリーは、エドゥアール・マネの弟ウジェーヌとベルトの娘。芸術家一家の中で育ったポール・ゴビヤールは、妹のジェニー、いとこのジュリーと同様、画家になることを夢見るようになり、ベルト・モリゾから大きな影響を受けます。ベルトは、1886年6月に開かれたルーブル美術館での模写レッスンにポールが参加できるようにはからい、また、バレンティーノ・アカデミーのアンリ・ジェルべクスの絵画の授業にも出席できるようにしました。後に、妹のジェニーは作家ポール・ヴァレリー(1871~1845年)と、いとこのジュリーは、技師であり収集家、画家でもあったアンリ・ルアール(1833~1912年)の息子、画家アーネスト・ルアール(1874~1942年)と結婚しましたが、ポールは一生独身を通しました。彼女は生涯を画業に捧げ、1894年から1912年まで定期的にアンデパンダン展に参加、サロン・ドートンヌには世を去る1946年まで出品を続けました。

この肖像画を描いた1887年には、既に印象派の主要な画家としての地位を確立していたベルト・モリゾ。1874年の第1回印象派展に唯一の女流画家として参加した彼女は、1886年の最後のグループ展まで出展を続けました。(娘のジュリーを出産した翌年の1879年のみ不参加)

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P.S. 私のお気に入りのモリゾの傑作『化粧をする後ろ向きの若い娘』はこちら!