コジオスコ山 by W​illiam Piguenit - 1903年 - 179.2 x 261.6 cm コジオスコ山 by W​illiam Piguenit - 1903年 - 179.2 x 261.6 cm

コジオスコ山

油彩、キャンバス • 179.2 x 261.6 cm
  • W​illiam Piguenit - 27 August 1836 - 17 July 1914 W​illiam Piguenit 1903年

コジオスコ山は、オーストラリアで最も高い山です。複数の測量方法が、コジオスコ山の頂上は、近くにあるタウンゼント山の頂上よりも少しだけ低いと示していたため、ニューサウスウェールズ公有地管理局は、「コジオスコ山」がオーストラリアで最も高い山の名前を意味し、「タウンゼント山」が2番目の山を意味し続けられるように、1892年に、2つの山の名前を交換しました。結果として、1863年にユージン・ヴォン・ゲラードが描き、現在オーストラリア国立博物館に展示されている「コジオスコ山の北の頂上からの東北方面の眺め」という絵は、実際のところ、タウンゼント山からの眺めになります。おもしろいことに、コジオスコ山の名前は、ポーランドの英雄、タデウシュ・コシチュシュコからとられています。というのも、この山がクラクフにあるコシチュシェコのお墓に似ていると考えられたからです。

ピゲニットは、タスマニアのホバートで生まれ、母親の影響を受けて美術に関心を持ちました。彼女は、若い女性向けの学校を開き、「フランス語と音楽と絵画」を自ら教えていました。ピゲニットは、スコットランドの画家、フランク・ダネットから絵画の手ほどきを受けていましたが、ジェームズ・アグニュー卿が彼の絵を高く買い上げるまで、画家としてはあまり成功していませんでした。ピゲニットは1873年に仕事を辞めて、タスマニアの風景を描く油彩画と水彩画に集中するようになり、次第に好評を博しました。彼はタスマニア西部の調査旅行隊の一員となり、「西方への散歩」という本を書いています。1880年にニューサウスウェールズ州に移った後、ピゲニットは、彼の家のあるハンターズヒルのそばにあるレーンコーブ川に加え、ダーリング川、ネピーアン川、ホークスベリー川を描き始めます。このときに、彼はニューサウスウェールズ州の美術協会の発起人の一人にもなっています。のちに、タスマニアの訪問時に、彼はタスマニア首相のハミルトン夫人の知己を得ましたが、これが契機となり、タスマニア政府は彼の多くの絵画をホバート美術館のために購入しました。

彼の「ダーリング川の洪水」という絵は、1895年にニューサウスウェールズ州立美術館に購入されました。1898年と1900年に彼は欧州を訪れ、ロンドンとパリで展覧会を開催しました。オーストラリアに戻ってから、1901年に「ダーリング川の雷嵐」でウィン賞を受賞しています。1903年には、彼はニューサウスウェールズ州立美術館から委託を受けて、コジオスコ山の絵、これが今私たちが見ている作品です―を描きました。20世紀の終わりには、ピゲニットはオーストラリア生まれの先駆的な風景画家と考えられています。

クリントン