マハラナ・ビーム・シングが王位に就いた頃には、メーワール王国にかつての栄光はありませんでした。影響力のあるムガール帝国から残された土地を守り、国境でのラージプート王国との戦いでは優位に立つために、1818年にビーム・シングはイギリスの東インド会社と同盟を結びました。
この作品を見ても、メーワールの混乱状態を推測することはできないでしょう。マハラナ・ビーム・シングは、全身に王室の装飾品を身に着け、飾られた馬に乗った姿で描かれています。マハラナの手にある水ギセルと、彼の側近が繋いでいるチーターとハヤブサは、ラージプートの支配者に特徴的な富と権力をそこはかとなく加えています。
ラージャスターン派のこの絵画は、非常に熟練した細密画家のガシに帰属しています。彼はまた、マハラナ・ビーム・シングに雇われ、巨大な宮廷と建築の光景を作り上げました。ガシの作品は、19世紀のダールバール(宮廷)の身分階層としきたりの注意深い描写で知られていました。彼の細密画家としての技術は、大規模な作品の構図でも見て取れます。ガシは、東インド会社ジェームズ・トッド中佐に雇われて描いた建築意匠図によってより一層の名声を得ました。
-マヤ・トラ
P.S. インドのフリーダ・カーロと呼ばれる、アムリタ・シェール=ギルについてはこの記事から知ることができます。