ポール・ギョームの肖像 by Amedeo Modigliani - 1915年 - 105 x 75 cm ポール・ギョームの肖像 by Amedeo Modigliani - 1915年 - 105 x 75 cm

ポール・ギョームの肖像

油彩/カンヴァス • 105 x 75 cm
  • Amedeo Modigliani - 12 July 1884 - 24 January 1920 Amedeo Modigliani 1915年

モディリアーニが描いたポール・ギョーム23歳の肖像画は、パリのオランジェリー美術館に所蔵されています。ギョームは、アール・ネーグル(黒人芸術)の画商として既に確固とした地位を確立しており、「新しい操舵手」、現代アートの擁護者と見なされていました。左上には大胆にギョームの名前が、右上には「海の星の聖母」(ステラ・マリス)の碑文とともにダビデの星が、そして左下には仰々しく “Novo Pilota”(新しい操舵手)と書かれています。右下には、卍の記号を添えたモディリアーニの署名。この記号は、後の世では否定的な連想を促すものですが、当時は「良い前兆」を意味するサンスクリット語のシンボルでした。

モディリアーニの友人だったロシア出身の彫刻家オシップ・ザッキンは、ギョームの肖像画の制作裏話を遺しています。「ズボロウスキが、モディリアーニをポール・ギョームの自宅に連れていった。ギョームは締まりのないぽっちゃりとした体形の年若い画商。彼は、キュビズムの絵だけでなく、まだ世間的には馴染みが薄いアフリカ彫刻も紹介している。私は数年前に大英博物館で民族誌的キャプションが付いたものを見たが、それと同じようなものだ。ポール・ギョームは、モディリアーニに肖像画を描かせることを承諾した。制作が行われたのは、強い電灯に照らされた地下室で、テーブルにはワインのボトルが置いてあった。」

モディリアーニは、イタリア出身のユダヤ系の画家・彫刻家で、主にフランスを拠点に活動していました。長く引き伸ばされた顔や首、体形が特徴的な、新しいスタイルで描かれた肖像や裸体像で知られています。生前はあまり評価されませんでしたが、後に認められ、大きな称賛を得ることになります。彼は青年期をイタリアで過ごし、古代とルネサンスの芸術を学んだ後、1906年にパリに移住。そこでパブロ・ピカソやコンスタンティン・ブランクーシといった芸術家と知り合います。1912年までには、キュビズムのアーティスト・グループ「セクション・ドール」と共にサロン・ドートンヌに参加し、高度に様式化された彫刻作品を出品。1909年から1914年の間は、主に彫刻の制作に没頭しますが、絵画・彫刻のいずれにおいても肖像と全身像を得意としました。モディリアーニは、35歳の年に結核性髄膜炎でパリで亡くなりました。

- Clinton Pittman

P.S. 100年前にモディリアーニが描いたヌードをこちらでご覧ください。まさに時を超越した美しさです。