写真研究 by Clementina Hawarden - 1860年代初頭 - 8.3 × 6.5 cm 写真研究 by Clementina Hawarden - 1860年代初頭 - 8.3 × 6.5 cm

写真研究

ガラスネガから生成されたアルブミン銀プリント • 8.3 × 6.5 cm
  • Clementina Hawarden - 1 June 1822 - 19 January 1865 Clementina Hawarden 1860年代初頭

クレメンティーナ・ハワーデンは、19世紀の多作の先駆的アマチュア写真家。ロンドンのサウス・ケンジントンにあった自宅の室内で撮った、娘たちの明るく、親密な肖像を中心におよそ800点の写真を遺しました。

彼女の生涯については不明な点が多く、謎に包まれています。知られていることの多くは、その写真を通して断片的に明らかになったこと。旧姓クレメンティーナ・エルフィンストン・フリーミングは、1822年6月1日、グラスゴー近郊で、南米独立戦争における功績で知られたチャールズ・エルフィンストン・フリーミング提督と、ずっと年下のスペイン人の若妻カタリーナ・パウリーナ・アレッサンドロとの娘として生まれました。

10人(!)の子供を育てながらも、ハワーデンは撮影に時間を割いて、非常に多作な写真家になりました。ヴィクトリア朝時代の上流階級女性の日常生活が垣間見える珍しい写真の数々。同時代の男性の写真家が遠くの風景を撮ったのに対して、彼女は身近な環境に芸術的な可能性を見出し、光や鏡、生地そして注意深く構成された室内空間を活かして、劇的でありながら柔らかなイメージを生み出したのです。

ジュリア・マーガレット・キャメロンなどの同時代の写真家が顔の表情を強調したのに対して、ハワーデンが焦点を当てたのは衣装、姿勢そして人物と環境の相互作用。1862年頃以降のキャリア後期の写真の多くは、娘たちに様々な衣装を着せた絵画作品のようです。現実と幻想との境界を曖昧にするような手法で、流行のドレスと演劇的な演出を融合させたハワーデン。現代の鑑賞者の中にはこれらの作品を、ヴィクトリア朝時代の思春期や性に対する強い関心という視点で解釈する向きもありますが、ハワーデンがそのような意図を持っていたという証拠はありません。

当時の社会的慣習は、ハワーデンが属する階級の女性が自分の芸術を商業化することを妨げていましたが、彼女は1863年と64年にロンドン写真協会で「Studies from Life(人生に基づく研究)」と「Photographic Studies(写真研究)」というタイトルで自分の写真を展示しました。 ハワーデンは両年とも銀賞を受賞。しかし、授賞式に出席することなく、1865年に肺炎のため42歳でこの世を去りました。長年にわたって写真化学薬品に触れていたことで、健康が損なわれたとも言われています。

P.S. 知っておくべき13人の革新的な女性写真家についてはこちら!彼女たちの作品を見たことがありますか?

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