いつ結婚するの by Paul Gauguin - 1892年 - 101cm x 77 cm いつ結婚するの by Paul Gauguin - 1892年 - 101cm x 77 cm

いつ結婚するの

油彩、キャンバス • 101cm x 77 cm

  • Paul Gauguin - June 7, 1848 - May 8, 1903 Paul Gauguin

    1892年

ポール・ゴーギャンは、タヒチで原始性を探究するためにヨーロッパでの生活を打ち捨てましたが (このことは、1892年制作の《ナフェア・ファア・イポイポ(いつ結婚するの)》を初めとした、輝かしいキャンバス画の数々として実を結びました)、その人生は興味深い問いを投げかけています。その問いとは、「現在における意義が大事か、それとも未来における意義が大事か」という問題です。

私たちは皆、自分の行動は無意味なものではないだろうと思っています――自分たちには計画があってその責任を負っており、その計画に向けた行動には意義があるものだと。皆さんのような合理的で理路整然とした人であれば、きっと自分の好みや目的とは何の関係もないような的外れの行動などしないことでしょう! 私たち人間は、まずは行動して、後になってから何らかの目的に行動を当てはめようとすることで正当化するか (「どうして彼女にあんな失礼なことを?そうだ、彼女は実のところ気取り屋といったところだし、ああいう扱いをすれば身の程を知るだろう」)、仮に本当に合理的であったとして、良くも悪くも単に「計画」に沿った行動をするだけ(「よし。大統領になるわけでもなし、とにかくクッキーを取りに行こう、クッキーは大好きだから……」)といったことをしがちです。かけた時間や努力、犠牲にしたものを正当化することで、後に目標・計画・目的が達成されたときに得をしようとするのです。私たちは普段、現在における意義よりも未来における意義を優先しますが、いつだってそれは何かに意義を見出そうとしているということなのです。

では、私たちが未来における意義ではなく、現在における意義に権限を持たせて行動をしたときには、どんなことが起きるのでしょうか? 何かしらの価値をつけるほどでもない意義といったものを目標として、それを満たすだけだけに大きなリスクを犯すような行動をするものでしょうか? それとも、そういったことそのものの意義を重要視する道をーー過去をーー辿るのでしょうか? 私はこの問いに対して、思い切り格闘しましたーー私が学位を取ってしまった後で、法に関する実践をしたいかどうか分からなくなってしまったら、法律学の学位を追い求めた意義はどこにあるのだろうか、と。ゴーギャンの作品やその人生、没後における彼の作品の市場での取り扱われ方に関する運といったものは同じような問いを我々に投げかけており、そうしたものを私は「ゴーギャンのジレンマ」と呼んでいます。

ゴーギャンにとってのこの絵の意義を、こうした事実を片手に見出してみましょう。この絵画は2015年に史上最高額(300万ドル)で売却されました。描いた画家はそのような高い値段がつけられた時には亡くなっていますし、生前の時代に1500フランの委託販売で販売されるということはありえないことであるわけです。この絵は、彼が原始性を見つけ出すために旅したタヒチで描かれたものであって、しかしながら彼はその地に、フランスや西欧の文化の影響を見出しました(ゴーギャンの伝記を書いたベリンダ・トンプソンは、彼はきっと「失望した」ことだろうと見ています)。この絵は美しい絵です。ゴーギャンが絵を本業にすることを決めたのは、破産を経験した後のことであり、ビジネスマンとして成功した後のことでもあります。彼はこの革命的な作品によって確実に知られることとなりましたが、そうなるのは彼が亡くなった後のことでした……。

皆さんは、私のジレンマの本質を見出しているのではないかと思います。いいアドバイスがありましたら、シェアしてコメントするか、eメールで教えてください。

Artur Deus Dionisio