ニューイングランド海岸の夕焼け by Robert Duncanson - 1871年 - 92 x 169.5 cm ニューイングランド海岸の夕焼け by Robert Duncanson - 1871年 - 92 x 169.5 cm

ニューイングランド海岸の夕焼け

油彩/カンヴァス • 92 x 169.5 cm
  • Robert Duncanson - 1821 - December 21, 1872 Robert Duncanson 1871年

今日はシンシナティ美術館の特集月間の最終日! 楽しんでいただけたことを願います!  : )

ロバート・ダンカンソンはヨーロッパとアフリカをルーツに持つ、19世紀のアメリカの風景画家です。彼の祖父チャールズ・ダンカンソンはバージニア出身で、奴隷の身分を解放された男性。彼は1790年以前に、北のファイエットへ移りました。チャールズの息子ジョン・ディーンとその妻ルーシーは、ロバートを含めた7人の子供たちを育てました。

ダンカンソンはミシガン州モンローで育ち、そこで大工仕事のほかに、家の塗装や装飾美術といった家業を学びました。1838年から1839年にモンローで塗装工およびガラス工として働いた彼は、画家を夢見るようになります。1840年頃には、画家としてのキャリアを追求するためミシガンからオハイオ州シンシナティへ発ちます。アフリカ系アメリカ人として、南部にとても近い街で働く中で直面するであろう苦労は覚悟していましたが、彼はすぐにシンシナティの人々から依頼を受けます。1848年、奴隷廃止主義者のチャールズ・エイブリーからの依頼で風景画『クリフ鉱山、スペリオル湖』を描き、彼のキャリアは大幅に上昇しました。その協会は、黒人画家を支援したい人々との生涯に渡る関係をつくりました。

1861年に南北戦争が勃発すると、その闘争の騒ぎやアフリカ系アメリカ人に反する白熱状態から免れるべく、ダンカンソンは北米やカナダへ旅に出ます。1865年の夏にはスコットランドへ渡り、そこでイギリス紙から国際的な賞賛を得ました。1860年代後期までに、ダンカンソンは精神疾患に苦しみ、支配者たる芸術家の霊魂が自分に乗り移っていると信じました。彼の妄想は、最初は塗装工として、後に画家として、途切れることなく使用していた鉛含有塗料の影響が引き起こしたのかもしれません。晩年をミシガンで過ごしたダンカンソンは、1872年12月21日、デトロイトの療養所で亡くなりました。

P.S. こちらで、ロバート・ダンカンソンをさらに詳しく知ることができます!