人生の二つの道 by Oscar Gustave Rejlander - 1858年 - 41.0 x 79.0 cm 人生の二つの道 by Oscar Gustave Rejlander - 1858年 - 41.0 x 79.0 cm

人生の二つの道

銀塩写真 • 41.0 x 79.0 cm
  • Oscar Gustave Rejlander - 1813 - January 18, 1875 Oscar Gustave Rejlander 1858年

写真家オスカー・ギュスターヴ・レイランダーについて、聞いたことはありますか?当時は有名だったのですが、今の私たちは彼がどこで生まれたのか、いつ生まれたのかさえも知りません。スウェーデン生まれなのは確実で、おそらく1813年に誕生したとされています。チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン (またの名をルイス・キャロル)の友人で、ジュリア・マーガレット・キャメロンと共に作品を創り上げました。二人のことは、以前DailyArtで取り上げています。  

オスカーが踏み出した第一歩は危なっかしいものでした。ロンドンの写真スタジオの経営者としてプロ人生のスタートを切ったものの、幾度も横道に逸れました。サーカスの少女たちを題材にエロティックな作品を作り、街娼たちを描きました。1856年以降は、以前よりもはるかに真面目な方向に転換します。どうしたら同じネガを2回使えるかを探り、ちょっとした詐欺をしたいと考えていました。レイランダーは「首無し」の人々を写したことで有名になったのですが――それは、印刷の際にモデルの頭を切り落とし、別のところに印刷するというものでした(カット&ペーストのようなものですね)。レイランダーは、写真の中の人が自分の頭や、恋人の頭を持っているように見せかけたのです。人々はこれを面白がりました。 

オスカーにとって、これは始まりに過ぎませんでした。もっと精巧なモンタージュを作り出すための方法をいくつか思いついたのです。今日ご紹介した《人生の二つの道》はその例です。この絵には、ラファエルの《アテネの学堂》(1511年)をもとにして生み出されたアレゴリーが描かれています。二人の若者が、ひげをはやした中央の男性リーダーから案内を受けています。片方は高潔な歓びを、もう片方は罪深い歓びを表しています。最終的に印刷する際には32枚の画像を組み合わせたのですが、制作して繋ぎ合わせるまでには6週間もかかりました。この写真は、激しい非難の声と大議論を巻き起こしました。見てください、この淫らな裸体を!写真が持つ卑猥さは、ヴィクトリア女王が複製品を注文したことですぐに薄れていきました。この作品で成功したことにより、レイランダーは有名になり、たくさんの扉が開けました。1872年には、チャールズ・ダーウィンの著書『人及び動物の表情について』の出版にあたり、ダーウィンから共同制作の依頼を受けました.レイランダーは科学界において名声をなし、心理学や精神医学の初期の研究に貢献しました。その名声とは裏腹に、1875年にレイランダーは貧困のうちに亡くなりました。遺された妻を援助するべく、エディンバラ写真協会は資金を集めなければなりませんでした。

- Erik