サミュエル=ジャン・ド・ポズィ by John Singer Sargent - 1881年 - 202.9 x 102.2 cm サミュエル=ジャン・ド・ポズィ by John Singer Sargent - 1881年 - 202.9 x 102.2 cm

サミュエル=ジャン・ド・ポズィ

油彩 キャンバス • 202.9 x 102.2 cm
  • John Singer Sargent - January 12, 1856 - April 14, 1925 John Singer Sargent 1881年

2018年3月8日から6月3日にかけて、アムステルダム国立美術館において素晴らしい催しが開かれます。この美術展「上流社会」ではクラナッハやヴェロネーゼ、ベラスケス、レイノルズ、ゲインズバラ、サージェント、ムンク、そしてマネなど、美術史に名を残す巨匠が4世紀にわたって生み出した肖像画の数々を楽しむことができます。この素晴らしい催しについて、詳しくはこちらをご覧ください。アムステルダムに来ることができない方のために、2点素晴らしい肖像画を デイリーアートでもご紹介します。 今日ご紹介するのがまさにそれです!

サミュエル=ジャン・ド・ポズィはフランス南西部のベルジュラックでイタリア人とスイス人の家系に生まれました。1871年より薬学を学び始め、最初の婦人科医学概論書を含む400余りの医学的な出版物を手がけ、時に物議を醸しました。普仏戦争ではボランティア医として、また第一次世界大戦では軍医として奉職しました。またポズィはパリ上流階級の人々の主治医でもあり、マルセル・プルースト(1871年–1922年)などとも親交を結びました。プルーストの弟ロバート(1873年–1935年) は彼の助手でした。

ポズィは信じられないほど自惚れが強く、女性患者に手が早いことで有名でした。このことはサージェントがこの医者を燃えるような赤いバスローブと刺繍を施したシルクのスリッパといういういでたちで描いたことや、後にこのモデルを「赤いガウンの男」として(いつもではないが)描いた理由かもしれません。特にサージェントが描いたポズィのエレガントで、長い指から、画家自身がこの美しきモデルに性的な憧れを抱いていたのではないかと推察する研究者もいます。ポズィは1918年、彼の治療で性的不能が治らなかったかつての患者に撃たれて亡くなりました。

この作品はロスアンジェルスにあるアーマンド・ハマー美術館からアムステルダム国立美術館に貸与されている物です。