魔術師(錯視絵の中に描かれた魔術師) by Nathaniel Hone the Elder - 1775年 - 145 x 173 cm 魔術師(錯視絵の中に描かれた魔術師) by Nathaniel Hone the Elder - 1775年 - 145 x 173 cm

魔術師(錯視絵の中に描かれた魔術師)

油彩 • 145 x 173 cm
  • Nathaniel Hone the Elder - 24 April 1718 - 14 August 1784 Nathaniel Hone the Elder 1775年

アイルランド人の画家ナサニエル・ホーン(1718ー1784)は、イギリス王立芸術院の創設メンバーの一人でしたが、のちに芸術院と衝突してしまいました。初代校長のジョシュア・レノルズ氏(1723ー1792)に嫉妬したためで、彼はこの作品「魔術師」で公然とレノルズを蔑んでいます。
肖像画の新しいスタイルを発展させ、歴史画としてのその位置を確立させたことで、レノルズは当時から今に至るまでなお有名な画家です。レノルズの手法のひとつに、過去の巨匠の作品をたくさん引用するというものがありました。ホーンはレノルズの作品には引用が多すぎると思っていました。それでレノルズを、昔の絵から新しい絵を出す魔術師だと表現したのです。新しい絵をつくりだすため巨匠の作品を盗むことに頼っているペテン師だと。この批評は明白です。レノルズが実際に引用した作品は刷られた絵として登場していますし、レノルズがよく使っていたモデルの一人を魔術師として描いています。

芸術院は、そんなことはまったく議論に値しないとでもいうかのように、この絵は別のメンバー、アンゲリカ・カウフマン(1741ー1807)も馬鹿していると感じました。作品内の少女がおそらくカウフマンだと思われます。彼女は肖像画家・歴史画家として成功した画家であり、かつてレノルズと関係を持っていただろうとされる人です。もともとこの絵には裸の集団が描かれていました。画面上の左隅、ロンドンのセントポール大聖堂の外でふざけている姿でした。これはおそらく芸術院のメンバーをモデルに描いたもので、その時レノルズやカウフマンらは、ちょうどセントポール大聖堂のフレスコ画を制作していたのです。集団の一人、黒のストッキングしか身につけていない女性は、カウフマンをみだらな人物として表したものです。芸術院はこれに非常に侮蔑を感じ(もっとも、それ以外の部分にもですが)、公式の展覧会からこの作品を取り下げました。ホーンは、その裸婦をカウフマンとしたつもりはなかったと訴え、その裸集団全員を、服を着た落ち着いた男たちに描き直しました。もしこのエピソードに興味があるのなら、物議を醸したオリジナルバージョンのスケッチを現在テート・ブリテンでご覧になれますよ。

- Alexandra Kiely

 P.S. ジョシュア・レノルズの描いたかわいい子どもの肖像画4枚はこちらから。