肌色とピンクのシンフォニー:フランシス・レイランドの肖像 by James Abbott McNeill Whistler - 1871–74年 - 77 1/8 x 40 1/4 インチ 肌色とピンクのシンフォニー:フランシス・レイランドの肖像 by James Abbott McNeill Whistler - 1871–74年 - 77 1/8 x 40 1/4 インチ

肌色とピンクのシンフォニー:フランシス・レイランドの肖像

油彩 • 77 1/8 x 40 1/4 インチ
  • James Abbott McNeill Whistler - July 10, 1834 - July 17, 1903 James Abbott McNeill Whistler 1871–74年

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本日の作品は、ニューヨークのフリッツ・コレクション のご協力で紹介します。ホイッスラーは私の大好きな画家の一人なのでとても嬉しいです!

1855年、フランシス・ドーソン(1834-1910)はフレデリック・R・レイランドと結婚しました。レイランドはリバプール有数の海運王であり、電話業界の盟主であり、そしてアートコレクターでもあった人物。ピーコックルームの内装をめぐってひどい仲たがいをするまでは、ホイッスラーの大口のパトロンの一人でした。ピーコックルームとはロンドンにあったレイランド宅のダイニングで、現在はワシントンのフーリア美術館に所蔵されています。

1871年の秋に依頼されたこの肖像画は、1874年のホイッスラーの初個展(レイランドの出資によるもの)で展示されましたが、ホイッスラーにとっては完全に完成したとはいえない作品のようでした。ピンクで配色された全体の中で、レイランド夫人の赤毛が引き立っています。夫人は何層にも重なったガウンを着ていますが、これはホイッスラーがデザインしたもの。床に敷かれたマットの、かごの網目のような抽象的な模様が絵の中で繰り返されていますが、このマットもホイッスラーのデザイン。こういったデザイン的な描写は、左側にある満開のアーモンドの枝の写実的な描写とは対称をなしています。またこの枝からは、彼が日本美術に深い興味を持っていたことがうかがえます。モンテスキューの肖像画にもあるように、この絵にも画面中央右寄りにサインがあります。イニシャルの「JMW」を蝶のようにデザインしたもので、ホイッスラーのおなじみのサイン。19世紀耽美主義の雰囲気が溢れています。そんなことからこの肖像画は、この上なく優れた「デザイン」作品だともいえます。ホイッスラーと同時代の画家、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティはこの絵についてこんな風に書き残していますーー「私はまったくもって、この絵を肖像画とはみなせない」。

P.S. ホイッスラーの「母の肖像」は、アメリカ国外で活躍したアメリカ人画家による、最も有名な作品のひとつです。詳しくはこちら