一部の皆さんはご存知のように、DailyArtの本部は主にポーランドのワルシャワにあります。1944年10月2日、第二次世界大戦中のヨーロッパのレジスタント運動によって引き起こされた単一の軍事行動の中では最大のものであった、63日続いたワルシャワ蜂起が終結を迎えました。ドイツの支配からワルシャワを解放することを目的としていましたが、結果は悲劇的なものでした――推定約16000人のポーランド人レジスタンスが殺され、150,000~200,000人の民間人が、主に集団処刑によって亡くなりました。ポーランド人にかくまわれていたユダヤ人は、ドイツ軍によって軒並み一掃され、近隣全体ごと大量追放させられました。東部前線における戦況によって、ドイツ軍がワルシャワを放棄せざるを得なくなった1945年の1月までには、1939年のポーランド侵攻や1943年のワルシャワ・ゲットー蜂起によって既に受けていた損害と合わせて、街の85%以上が破壊されていました。
ワルシャワに来ると比較的新しい街だと感じられるのはそのためです。消滅する運命にあった都市を、後に国が人々を動員し、破壊された街の瓦礫を用いて再建したためなのです。
この写真は、1930年代に撮影活動をはじめ、ライカカメラの愛用者としても知られた著名な写真家ゾフィア・ホメントフスカの写真の中でも最も有名なものです。ホメントフスカ自身、この写真が自分の豊富な作品群の中で最も重要なものの一つだと考えていました。これは元々、破壊されたワルシャワに帰還する市民を、1945年の春に記録した写真群の中の一枚です。
この写真は、戦後数ヶ月の都市中心部の実際の様子を完璧に表しています。ドイツ軍はあらゆる橋を爆破したため、ヴィスワ川を渡るということが日常生活の中で最も困難な事柄のうちの一つとなってしまいました。何千人もの人々が、破壊された街の中心部と、徐々に撤去されゆく瓦礫と、仮の生活が可能であったプラハの被害の少ない地区との間を行き来しました。右岸と左岸の間は、一時的に建築された橋と船での輸送でつながれていました。
本日の写真はワルシャワ博物館 (旧ワルシャワ歴史博物館)のご協力のもとお届けいたしました。ワルシャワ蜂起の様子をカラーでご覧いただくことも可能です。
P.S. 戦争はいつの時代も悲劇です。そして芸術家にも大きな影響を与えるものです。第一次世界大戦が芸術に与えた影響についてはこちら。