二人の人物のいる下生え by フィンセント・ ファン・ゴッホ - 1890年 - 49.5 x 99.7cm 二人の人物のいる下生え by フィンセント・ ファン・ゴッホ - 1890年 - 49.5 x 99.7cm

二人の人物のいる下生え

油彩/カンヴァス • 49.5 x 99.7cm
  • フィンセント・ ファン・ゴッホ - 1853年3月30日 - 1890年7月29日 フィンセント・ ファン・ゴッホ 1890年

今日から、シンシナティ美術館コレクションの特集月間が始まります。皮切りは、このゴッホの傑作です!

1890年の5月、ゴッホはサン=レミの療養所を離れ、パリの北に位置する小村オーヴェル=シュル=オワーズに向かいます。7月27日、「エデンの園のよう」と形容したこの村で、ゴッホは自らを銃で撃ち、2日後に亡くなりました。精神の病に苦しんだ画家は、その狂気ゆえに芸術的な限界を超えたというのが、ゴッホを語る際の通説になっています。ゴッホ自身は、狂気の発作の恩恵は、正気の間に制作しようという動機になっただけだと記していますが、オーヴェルでの最後の数ヶ月間、彼はほぼ1日1点のペースで描き続けました。

弟テオに宛てた1890年6月30日付の手紙の中で、ゴッホは『二人の人物のいる下生え』の構図と鮮やかな色遣いについてこう記しています。「スミレ色のポプラの幹が、情景を横切って柱のように垂直にそそり立つ」続けて、「 下生えの底は青く、大きな樹々の根元には、白やバラ色、黄、緑の花々が咲き乱れている」 下生えの草花が生い茂った緑の絨毯と、ほっそりとした樹々の一群に隠されて、恋人たちが自然界の繁殖という主題を繰り返しています。

この絵には、オーヴェルで制作した作品に特徴的な銀色がかった色調が見られます。筆致は素早く、直感的。色遣いは痛烈なほどに強く、感情がむき出しに表れていますが、その構図には精神面の苦悩をほのめかすものはありません。この作品は、横幅が縦の倍の横長のカンヴァスに描かれています。ゴッホは、最晩年の作品に見られるパノラマ式構図の芸術的可能性を探究したのです。

ゴッホの絵をいつも手元に置いておきたいなら、ゴッホが満載のデイリーアート・ノートはいかがですか。

P.S. 芸術は、ゴッホの人生の救いになったのでしょうか?ゴッホのメンタル・ヘルスを別の角度から考察したコラムをこちらからどうぞ。