ファタタ・テ・ミティ (海辺で) by Paul Gauguin - 1892年 - 91.5 x 67.9 cm ファタタ・テ・ミティ (海辺で) by Paul Gauguin - 1892年 - 91.5 x 67.9 cm

ファタタ・テ・ミティ (海辺で)

油彩、キャンバス • 91.5 x 67.9 cm
  • Paul Gauguin - June 7, 1848 - May 8, 1903 Paul Gauguin 1892年

1892年、ゴーギャンが 《ファタタ・テ・ミティ (海辺で)》を描いたのは、タヒチへの初めての旅の途中のことでした。これは、直接的な風俗画の比較的数少ない一例であり、マタイエアやパペアリの当地の竹小屋に、ゴーギャンがスタジオを構えた直後に描いたものです。しかしながら、ゴーギャンの伝記作家ナンシー・モウル・マシューズが指摘するに、 これは彼が実際に見たものを表しているのではなく、絵画によってありふれた日常が、エキゾチックに見える島の生活の情景へと変えられているのだと言います。 

絵画には、海に飛び込む2人のタヒチの女性が後ろから描かれています。背景には、銛で魚を捕える漁師がいます。この絵画はタヒチの人々のロマンチックな眺めを象徴するもので、この情景はピエール・ロティが書いた『ロティの結婚』によって有名になったものです。この小説の中で、ロティはタヒチの花嫁が追い求めるものをごく単純に「夢想、入浴、とりわけ入浴」と描写しています。絵画の中の女性はパレオを脱ぎ去り、裸で入浴していますが、近くに漁師がいることは気にしていないようです。これはゴーギャンが見出したいと願った、束縛の無い南国のパラダイスのイメージなのですが、現実はというと、ポリネシア文化は西洋の宣教師や植民地化政策によって変容させられており、それというのも西洋人たちが、自分たちの価値観や宗教を島に住む人々に押し付けたからなのです。

波間で戯れる乙女たちという主題は、黄金時代において慣例となっており、ティツィアーノやクールベから、ゴーギャンと同時代を生きたドガに至るまで、数々の芸術家によって繰り返し描かれました。

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