ジヴェルニーのモネ邸 by Blanche Hoschedé Monet - 59.4 x 72.8 cm ジヴェルニーのモネ邸 by Blanche Hoschedé Monet - 59.4 x 72.8 cm

ジヴェルニーのモネ邸

油彩/カンヴァス • 59.4 x 72.8 cm
  • Blanche Hoschedé Monet - 10 November 1865 - 8 December 1947 Blanche Hoschedé Monet

ブランシュ・オシュデ・モネは、クロード・モネの継娘であり、義理の娘でもあった画家です。この話は少し複雑なのですが、ブランシュは、パリで百貨店を経営していた実業家エルネスト・オシュデの次女。エルネストは印象派絵画のコレクターでもあり、若きモネの重要なパトロンでもありました。1877年、エルネストは破産し、コレクションは競売にかけられてしまいます。 

エルネストと妻アリスは、6人の子供たちと共に、モネがその妻カミーユ、ジャンとミシェルの二人の息子と暮らしていたヴェトゥイユの家に引っ越してきます。しかし、エルネストはほとんどの時間をパリで過ごし、ベルギーにも出かけていきました。1879年9月5日にヴェトゥイユでカミーユが亡くなった後も、アリスと子供たちはモネと同居を続けます。1881年、彼らはポワシーに居を移し、1883年にはジヴェルニーに落ち着くことになります。オシュデ夫妻は離婚することはありませんでしたが、1891年にエルネストが死去した後もモネとアリスは同居を続け、1892年7月16日に正式に結婚しました。

さて、ここでブランシュの登場です。彼女はモネの助手兼弟子となり、師匠のイーゼルとカンヴァスを手押し車に乗せて運び、自らもイーゼルを立てて絵を描きました。1888年にサロンに応募するも落選。1905年にはアンデパンダン展に7点の作品を出展し、画商デュラン=リュエルがその内の1点を購入します。ブランシュは、典型的な印象派のスタイルで気の向くままに作品を制作をしました。ジヴェルニーに居を構えた初期の頃(1883年から1897年の間)の彼女の作品は、モネの絵と判別がつかないことがあります。パレットや絵筆、絵の具やカンヴァスはモネのものを使い、描く主題もモネの庭やその周りのものだったのです。

ブランシュ・オシュデは、1897年にモネの長男ジャンと結婚し、よく作品を展示していたルーアンに引っ越していきました。1914年にジャンが亡くなると、彼女はモネの元に戻ります。モネがこの世を去るまでの20年間、ブランシュは画家としてのキャリアを捨て、秘書のような役目をしてモネを支えました。

今日は女性の歴史特集月間の最終日です。でもご心配なく。デイリーアートとデイリーアート・マガジンでは今後も女流画家を紹介していきます。乞うご期待! ところで、ジヴェルニーの素晴らしいモネの庭はこちらからご覧ください。