ド・フォレストのフォノフィルム by Alphonse Mucha - 1927年 ド・フォレストのフォノフィルム by Alphonse Mucha - 1927年

ド・フォレストのフォノフィルム

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  • Alphonse Mucha - July 24, 1860 - July 14th 1939 Alphonse Mucha 1927年

芸術について語る時、特定の芸術家にだけ焦点を当てることは非常にたやすいことです。ですが今日は、作品のモデルから話を始めようと思います。今回の場合は、その人は芸術家のアシスタントでもあり娘でもありました。ヤロスラヴァが生まれたのは、1909年、ニューヨークでのこと、両親が資金集めのイベントでアメリカを訪れていたときのことでした。彼女はバレエを学んだ後、有名な父アルフォンス・マリア・ミュシャのアシスタントを務めるようになりました。後に、アルフォンスは娘の肖像画を、チェコ・スロヴァキア初の10コルナ紙幣に使うこととなります。1920年代には、アルフォンスのアトリエは大盛況となっていました。アルフォンス・ミュシャが生まれたのは1860年、モラヴィアのイヴァンチツェでのことでした。彼は非常に商業的なユーゲントシュティールのポスターをもってして、芸術界に嵐を巻き起こしました。アルフォンスは、写真が大いに助けになりうることにすぐに気が付き、頻繁にポーズを試しては記録して、後に作品に反映させました。

1927年、商業ポスターとして《ド・フォレストのフォノフィルム》の依頼を受けたとき、アルフォンスは娘のヤロスラヴァを自分のために、自分と一緒にポーズを取るよう頼み――そしてこの写真を撮りました。私は、この写真を最初見たとき、少し面白いと思いました。私たちの目に映るのは、写真家のコートを着たこの年配の男性です。みた感じ……動揺して、落ち着きなく急いでいるようです。男性の左手は若い女性の胸に置かれ、女性は男性の手にかすかに触れています。女性の身振りの方はより演劇的で、体は開いた構えで、右腕は大きく広げられています。両目は閉じられ、まるで彼女自身楽しんでいるようです。さて、以上に述べた前情報が全くなかったとして、あなたはどんなことを考えるでしょうか?そこから、写真をテンプレートとしてアルフォンスが描いたポスターへと視線を切り替えてみましょう。二つの対応は明らかです。私は、後ろの人物は小柄な割に、どうして手はこんなに大きいんだろう (男性的なんだろう) とまで考えました。アルフォンスは1939年に息を引き取り、第二次世界大戦の後、ヤロスラヴァは父の手がけた一大プロジェクト「スラブ叙事詩」――チェコ神話を描いた20枚にもわたる巨大なキャンバス画群――を救おうとしました。アルフォンスは、いくつかの人物を描くにあたり、彼女をモデルとして使ったのです。ヤロスラヴァは1986年に亡くなりました。

- Erik

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