木曽海道六拾九次之内 長久保 by  Hiroshige - 1836年頃 - 22.2 x 34.9 cm 木曽海道六拾九次之内 長久保 by  Hiroshige - 1836年頃 - 22.2 x 34.9 cm

木曽海道六拾九次之内 長久保

錦絵、紙本著色 • 22.2 x 34.9 cm
  • Hiroshige - 1797 - October 12, 1858 Hiroshige 1836年頃

中山道の中でも難所であった和田峠と笠取峠の間に位置する長久保宿は、徳川幕府の下で宿場町として栄えました。元々の町のほとんどは1631年の洪水で壊されてしまい、近くのより高いところへ移されました。町が発展していくにつれて、次第に長屋が横丁の先に広がっていき、町は珍しいカギ型になりました。

広重が長久保宿を描いたこの浮世絵版画では、かつてちょうど長久保宿があったところに作られた、和田橋が描かれています。前の方では子どもたちが遊んでおり、旅人が宿屋に向けて荷負い馬をひいています。この一連の版画によく見られるように、出版者の名前が馬の鞍敷き布に書かれています。宿屋の屋根には強風対策として瓦の上に石が置いてありますが、これはこの地方特有の建築方法です。

今日においても、長久保宿の建物の多くは保存されており、長和町を訪れる観光客が心惹かれるエリアとなっています。

浮世絵が嫌いな人なんていませんよね?富嶽三十六景の中で一番面白い (もちろん我々の個人的な意見ですよ) 6枚の絵画はこちら

また明日!