バンジョーのレッスン by Henry Ossawa Tanner - 1893年 - 124.5 × 90.2 cm バンジョーのレッスン by Henry Ossawa Tanner - 1893年 - 124.5 × 90.2 cm

バンジョーのレッスン

油彩、キャンバス • 124.5 × 90.2 cm
  • Henry Ossawa Tanner - June 21, 1859 - May 25, 1937 Henry Ossawa Tanner 1893年

黒人歴史月間について改めて思いをはせていただけるよう、ヘンリー・オサワ・タナーが描いた素晴らしい絵画をご紹介します。

ヘンリー・オサワ・タナーは、アメリカで初めて著名になったアフリカ系アメリカ人芸術家です。ペンシルベニア美術アカデミーとパリのアカデミー・ジュリアン (ジャン=レオン・ジェロームと同窓生) で教育を受けたことが、大きく異なる絵画への2つのアプローチ――アメリカ写実主義とフランスのアカデミズム絵画――を組み合わせる助けとなったのです。

アメリカが奴隷制を廃止したのは1865年、この絵が制作された時からたった28年前のことです。タナーが生まれたのはピッツバーグで、アメリカで急成長中だったアフリカ系アメリカ人のインテリ集団の、高度な教育を受けた人々からなる、結びつきの強い社会の中にいました。一方で母親のサラは奴隷として生まれ、地下鉄道を通って北へと逃げ、ペンシルバニアに辿り着きました。タナーのミドルネームである「オサワ」は、彼の父親でありメソジスト派牧師、奴隷制度廃止論者でもあったベンジャミン・タッカー・タナーがつけたもので、その由来はカンザス州オサワトミー――1856年8月30日に奴隷制度廃止論者ジョン・ブラウンが、奴隷制の熱心な支持者に対して血を流しながら立ち向かった場所の地名にちなんだものでした。

タナーは人生のほとんどをフランスで過ごし、聖書を題材とした豪華な絵画で有名になりました。《バンジョーのレッスン》は最も有名な作品であり、彼の全作品を端的に表すような絵画となっています。恒例の黒人男性が少年、おそらく孫に、バンジョーの弾き方を教えています。タナーにとって、世代間で継承をするというこのイメージは、アフリカ系アメリカ人への偏見を打ち砕くものでした。当時人気だったミンストレル・ショーでは、アフリカ系アメリカ人は乱暴でおどけた愚かな存在として描かれていました。《バンジョーのレッスン》では、タナーは全く異なる光景を描き示しています。

タナーは《バンジョーのレッスン》を描いたのち、フランスに戻り生涯の大半をそこで過ごしました。フランスにいる方が、心地よいと感じていたのです。彼は、「アメリカでは、私は黒人芸術家のヘンリー・タナーだが、フランスにいると私は『アメリカの芸術家、ムッシュー・タナーなのだ』」と述べています。

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